2012年04月19日

“アースデイトーク”動画①

先日大分県立芸術短期大学
地域社会特別講義という授業で
“アースデイおおいた2012”の
アピールをした時に反響の大きかった
アースデイおおいた2011の
アースデイトークで
原爆の残り火を護っている
湯布院の見成寺の日野住職の動画です。

“アースデイトーク”動画①






「最後に、もう一度混乱させる事を
言っちゃうかも分かりませんけども

『平和』の問題を考える時に
自分に出来る事として

「私」から始まって 私の家族から 
そして私の国からとか 
地域から 国からとか

私から始まる『平和』って言うのは
最後は『平和』を守るために戦争をする 
と言う方向になってしまいます。


で、非常に厳しいんですけども
『平和』の問題を考えようとする時は

「私」からスタートするんじゃなくて
「私」が今こうしている事によって
「たくさんの人たち」がどうなるか
って言う逆な方向

「世界」って方向あるいは
「命」って方向
そっちから自分を問う

と言う事をやらないと戦争を
止める力にはならない。


ほとんどの戦争は
自分たちの権益を守るために
戦争するっていう、
そういう形であるから

『「ちっちゃな平和」から「世界の平和」』

はしかしながら
そこに「壁」が出来てしまう。

その「壁」は「国家」という壁なんです。


「国家」という壁を破る
と言う事が出来ない。


「国家」でそこで完全に逆転してしまう。


その事を最後にちょっと
言っておきたいなと。


だから難しいっていうか 
嫌な問いかけですけれども

だけどそれを実現するためには 
実は自分が「生きる」という事。


先ほど「共生」と言う言葉が
出て来ましたが

どこまで「共生」って事が
自分に可能かと言う事

一緒に生きるという事 
人と生きるという事について

自分を考え始める事は
具体的には一番『戦争』と
『平和』の壁を超える
大きな力だと思います。


だけど一つだけ注意して
欲しいって事はさっき言った事。


「自分」からスタートした『平和』は
必ずある一つのレベルで
必ずそれを壊す奴を倒す
という事になってしまいます。』


Posted by アースデイおおいた at 18:33│Comments(0)アースデイトーク
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